TOP

佐野日本大学中等教育学校

コミュニティ

【校長室だより】

 本校では、昨日で夏休みが終わり、本日から授業が始まりました。そして来週からはいよいよ前期期末試験が始まります。

 本校は二期制を採用していますので、4月から9月までを前期、10月から翌年の3月までを後期という呼び方をします。1~3年生を前期課程、4~6年生を後期課程と呼んでいますので、混同しがちになってしまいますね。

 さて、今回は「考えること」について述べてみたいと思います。

 わかりにくいよりわかりやすい方がよい。不便より便利の方がよい。遅いより速い方がよい。文明はそうやって発展してきました。私たちはその恩恵を受けて日々を過ごしています。

 先日、ある店舗を訪れた際、ドアの前で、「あれ、ドアが開かない?」と感じたことがありました。なんのことはない、自動ドアでなく、手で開ける扉だっただけです。私たちは、こんなことで軽い不愉快を感じてしまいます。また、わからないことは、ちょっとスマホで検索すれば、ほとんどのことはわかってしまいます。

 この、いつでも快適に対応してもらえる、何でもすぐ教えてもらえるといったことが、実はヒトの成長にはあまりプラスにはならない。いやプラスにならないどころか、場合によってはマイナスの働きをしてしまうということを、時には意識した方がよいな、と感じました。

 野生動物と違って、生物学的に未熟な状態で生まれるヒトは、保護者や学校、社会から「教育」を受けないと、ヒトとしてヒトの社会の中で生きていく力が養えないという宿命を背負っています。なぜなら、人間の脳は、パソコンのようなハイテクではなくローテクだからです。ボタン一つで情報がすべて入力されるのではなく、まず学び、学んだことをもとに予測を立て、試してみて、だめなら別の方法を探り、さらに学び、再び予測し、トライしてみる…。できなかったこと、どうしたらよいか見当がつかないこと、解決策を探ること、悩むこと、つまり「考えること」。そのすべてがヒトとしての成長に必要な栄養になるわけです。

 今まさに、学びの渦中にいる子どもたちも、そしてその模範となる私たち大人も、わからないこと、未知なこと、悩ましいこと、そんな問題にであった時は、すぐに答えを求めがちな時代に生きているということを思い出し、ある期間、その問題を抱えてみて、どうしたらよいか「考えてみる」。

 そんなことを少し意識してみることも必要なのでなないでしょうか(手動ドアの前で、しばし考えてしまった者として)。<次回9月7日更新予定>