【校長室だより】
本校では、先週、前期期末試験が終わりました。2期制の本校では、前期の通知票は10月7日(金)の終業式の日に生徒に渡されます。
また、本日から3日間、2年生が国内短期研修に行きます。本校では、後期課程でのイギリス研修を目途に、様々な校外研修を積みますが、国内短期研修は新潟県上越市にて、農村、漁村の2コースに分かれて地元の方々から直接指導を受けながら体験学習を行います。一つひとつの体験が、生徒たちの成長の糧になることを願っています。ちなみに私もこれから現地に赴き、生徒たちの様子を見てこようと思っています。
さて、夏休み中は、私も少し時間ができましたので、何冊か本を読みました。内田樹(うちだ・たつる)さんの「下流志向」は以前1回読み、また今回読み返しましたので、自分なりに考えたことを述べたいと思います。
この本には副題がついていまして、それは「学ばない子どもたち、働かない若者たち」というものです。なぜ今の日本の子供たちは学ばないのか、なぜ今の日本の若者たちは働かないのか。こういうことについて深く考察した名著です。
本の中で、学ばない子供たちの理由を解説していまして、それは「消費主体」と「労働主体」という言葉で説明されています。子供たちが社会的に認知されるために、昔は働くことが必要でした。仕事としてではなく、たとえば家庭内での小さな役割分担等ですね。たとえば庭を掃く、玄関を掃除する、食卓の配膳をするなど、子供にもできることです。簡単なことから始めて、だんだん難しいことに移っていった。そういう家庭内での労働とそれに伴う自分なりの工夫によって、そして「よくできたね。ありがとう」という年長者からの承認によって、子供たちは「社会的に認められる」ということを実感してきた。しかし、今は、社会構造的にそのような家事労働自体が激減してしまって、子供たちが労働を通して社会的に認知される機会自体がほとんど失われてしまっている。それに代わって、お金を持ってモノを買うことを通して、つまり何の他者貢献もせず、ただお金を持った消費者であるというだけで「認められてしまう」わけです。お金はもちろん親が与えます。すべての家庭がそうでないにせよ、家庭内労働(というよりお手伝い)すら行われず、お金だけを与えられる環境で育ってしまえば、そこには、労働に伴う負荷も、責任感も、工夫も、そして認められたという喜びや誇らしさも、さらには自己肯定感も育たないわけです。そしてこのことが今の日本の「学ばない子供たち」や「働かない若者たち」の、大きな原因の一つになっているのではないかと考察しています。
そういえば、欧米の王室などでは、皇太子が幼い頃にはお小遣いなどは一切与えず、手を使い、汗を流し、他者に貢献するような仕事を経験させるそうですが、実はそこには深い意味があったのですね。
佐野日本大学中等教育学校のコンセプトは「できるをかさねる6年間」です。少しずつでもいい、その子が今できることから始めて、一つひとつ「できる経験」を重ねていってほしいと思います。プロセスを大事にし、トライ&エラーを繰り返しながら、近道のない成長の日々を送ってほしい。今回の夏の読書から、子どもたちへの願いを込めて、そして自分自身への戒めとして、この文章を書きました。
残暑や大雨など、天候の不順も続き、また新型コロナウィルス感染症も予断を許しません。気を緩めず、その日その日を大切に過ごしていってください。 (次回9月21日更新予定)